TALK, TOKYO GIRL

【口下手だからこそ気づく、会話の小ワザ、話し方テク。】会話上手になりたい!教養と話術に長けた女子を目指して、この東京をしたたかに生きる。働くアラサー女子、日々奮闘!の実録。

「超速でインプット」をせよ。

 

この間、尊敬する先輩と一緒に、とあるビストロにご飯にいった。


カウンター席でワインを頼んでから、今週もお疲れさま、と一息ついたと思ったら、そこから約2時間、ひたすらに出てくる、出てくる、心ときめかせる話題の嵐。


今情熱を傾けている事業の話から始まり、つい先週オープンしたばかりで話題のジュースバーの話や、今をときめくスタイリストが手がける新規セレクトショップの裏話、知る人のみぞ知る小洒落たレストランのオーナーとのエピソード・・・などなど、「わたし」が生きている現実ではなかなか想像できない、最新のトレンドを凝縮し織り交ぜたエキサイティングな現実が、出てくる、出てくる。

あまりにも話が刺激的な上に貴重な話すぎて没頭し、せっかくのビストロで覚えているのは葡萄と舞茸のサラダと白のビオワイン、のみ。他、なに食べたっけ・・・。

 

で。

帰り際、その人と電車で一緒に帰ることができて、隣に座っていたときのこと。その人は何気なく携帯を取り出して、Instagramを開いた。すると、そこから、

 

シャシャシャシャーーーーーーッ
(イメージ)

 

と、ものすごい勢いでタイムラインをスクロールしているのである。!?え、なに、見てないの?流してるだけ??

 

よくよく見ると、その人はしっかりと自分のフォローしている人たちの投稿をくまなく見ているのだ。よく見ていると、気になるハッシュタグは追いかけ、気になる人はすぐフォローし、行きたいお店は保存をしている。それを、神業で1秒のうちに10枚くらい(イメージ)超速でチェックしているのである。

 

莫大な情報を瞬時にインプット&自分にとっての取捨選択をして、自分の糧にしていく。そしてそれを自分で満足するために消費するのではなく、すぐ誰かに話して、誰かに有益な情報を提供してあげる。これこそ、情報の有機的な使い方!

もちろん使っているのはInstagramだけではなく他のアプリも駆使。食に関していえば、メモ帳にはエリア別に行きたいお店を貼り、好きなお店はgoogle mapでピンを刺し、食べログやrettyも横断的に使いこなして、自分のログもつけていく。

 

この世界に溢れる情報を、瞬時に自分の必要/不要でジャッジし、それでも自分の知識や情報として取り込んでいく。それは、今の情報に囲まれる毎日の必須スキルなのかもしれない。そして誰かと会話するなら、相手にとってプラスの時間にしたいもの。そのためには、常に相手より半歩先のことを取りに行く、そんな貪欲さが欲しい。


一流の人と渡り合うには、一流の量のインプットを。

先生、まだまだ修行が足りません・・・。 

愛すべき事件探し上手、になろう。

事件と聞いて、何を思い浮かべるだろう。良くないこと?ネガティブな話?

最近気づいたことは、"事件こそ、同じコミュニティ内で盛り上がる良質な話のネタ"なのだということ。

 


同僚の上司で、いつも、何か社内イベントがあるたびに「何か面白い事件ありましたか(ニヤリ)と訊く人がいる。

 


最初の頃は、はて、事件???と思っていたものの、何回も聞くにつれて、そうか、これは盛り上がる、共通の話題を楽しんで探してるんだ!と気づく。

 


社内イベントで、仕事中に、あらゆるシーンで起こる愛すべき「事件」。

 


誰かの思いがけないおもしろ一言。

みんなに愛されキャラをもつ人の驚きの行動。

本人は気づいてないけど周りの人はひたすら笑える不思議な癖。

いつもスマートな人から思わず出た迷言(名言)など。

思えば、関わる人をもっと知りたい、愛すべきいじりをしたい、という裏返しなんだと思う。

 


場をハッピーに変える事件で、毎日の会話をお茶目に彩ること。それは一緒に過ごす人に関心を持ち、一緒にいるひとを楽しませることにつながるもの。

 

相手の気持ちは考えつつも、いつもユーモア溢れる楽しみを見つけられる人でありたいな。

たとえる技術。

話の面白い人になりたい!!

 

密かな目標を叶えるべくここ数年で数百人の新しい人たちに会ってきた私。とにかく思ったのが、コレ。

どんなに大勢の中でいてもオーラを感じ、オープンマインドで人に愛され、接するすべての方をワクワクした気持ちにさせる人たちが、いるんです。

そう、面白い会話は、相手を幸せにし、人と人とをつなげ、人生を豊かにするのだ。

(まるでジャズのアドリブみたいなものだなって最近おもう)

 

そんなひとたちの多くが持っているのは、

「たとえる技術」!

連想力、表現力、そして教養から生まれるこれ。話の幅が、100倍に広がるような魔法の言葉!。このブログでも、折に触れて良い「例え」について書いていきたい。

 

具体的にどんなことかというと、最近あった例をいくつか挙げてみる。

 

●小洒落たインポートものの派手柄のスーツを着てドヤ顔をしていた男子

(一般的)「おしゃれな服だね~」

(話し上手)「なんかアメリカの司会者みたいないでたちだね」(愛すべきいじりを込めて)

 

●会社のリーダーが、実質その上司に振り回されているケース

(一般的)「自分で決められなくて大変だね」

(話し上手)「傀儡政権ってやつか・・」

 

●野菜の中に魚まるごと一匹が横たわっているあんまり美味しそうにない蕎麦

(一般的)「なんかインパクトある蕎麦だね」

(話し上手)「オフィーリアの死(※ミレーの絵)みたいな蕎麦だね」

 

ちょっとマニアックな例えばかりですが…(笑)

つくづく静かに聞いていると、話し上手は「すごい」「大変」その他一般的な形容詞を使わない。

聞いた物事に対して、違うものへ連想したり、歴史や芸能との共通要素を考え、自分なりの理解をし、豊かな想像力で違うものと結びつける連想能力があるのです・・・!

それってまさに、言葉のアート。

ただの瞬間が、一瞬で特別なものに変わるんです。

 

たとえるためには、この世界のたくさんの物事に関心を持ち、自分なりに理解することが必要。

そして、何かを目にした時、瞬時にそれを変換することができることで、自分の知識になったと思えるのだと思うの。

 

さて、どんな「たとえ」で人をはっとさせましょう。

毎日、ふと目に入った言葉、誰かから聞いたもの。地道に地道に、トレーニングして連想力を鍛えたい。

 

 

今日も感性をフル稼働して、1日を楽しもうと思います◎

「もしも」で日常をもっと楽しむ。

些細なことを見つけて会話を楽しむ「ネタ」にする。これ、たまに飛び抜けて上手い人がいるのだ。

 

とある友人男子との会話。


どうやら彼は女性が9割の会社に勤めていて、その会社内の女子が非常に「強い」らしい。

 

同じ会社の男子が圧倒されるくらい意見の主張もし、上司の言うことが納得できなければたてつき、見た目はオシャレで可憐だが、とにかくデキるひとたちばかり、だそうなのである。


普通なら、圧倒されたり、うざいよーとかなんか愚痴の一つでも出てきそうなのだが、そこで一言。
「こないだね、"もしも"チームのメンバーで社内の中で天下一武道会(※ドラゴンボールの格闘大会のこと)やったら誰が勝つかって盛り上がったんだよ〜」「それぞれ誰を戦わせに出すかって、いろんな人を勝手にキャラクター化して、勝手に楽しんじゃった〜(笑)」とのこと。

 ・・・まぁ、裏で例えられていた女子はたまったもんじゃないと思うのですが(笑)、つまりはこういうこと。

 

よく合コンで、「このなかで"もしも"、彼氏、お父さん、親戚、他人にするなら、誰!?」みたいなことをするとひと盛り上がりするように、現実にありそうでないことを「もしも」で想像しながら共有して楽しむ、は盛り上がる大きな題材だと思ったのです。

 

現実にあることや真面目ネタだけではなくて、まるで小・中学生のように、起これば楽しい"もしも"を駆使して、自分も人も思わず笑えるそんな話をしたら、現実をもっと楽しめるかも、と感じました。

 

 

とか言って、知らないところでたくさん例えられていたりして…(笑)。

ま、それもまた、一興。

上手な人に学ぶ、が鉄則。

もともとなんでこんなに話すことの楽しさってなんだろう?と考えるきっかけになったかといえば、同じ会社の先輩の会話がきっかけで。


とある時期から仲良くなり、その人の切り替えし、頭の回転が飛び切り早くて、話しかけて二言目にはすぐに笑いに代わる天性のトーク力があるひとだった。


息を吸うようにユーモアを混ぜ込み、どんなに固い場でも臆せずギャグを盛り込み、空気を作ってく。それはたぶん、いろんな人の気持ちを巻き込む(しかも時には空気を読まず)部活のキャプテンをやっていた、というのもきっと理由なのかもしれない。その人と話せば、どんな困った仕事でも大変な時期でもなんとなく乗り越えられた。

だから、自分もそんな空気を作れる人になりたい、と思っているのです。


そんななか見つけた記事。

やっぱりプロに学べ、が一番。

 

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「芸からは想像できない!武井壮トーク練習が本気すぎてかっこいい」

https://smartlog.jp/26490

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この文中にある「しゃべっただけでみんなが笑顔になるなんて、魔法使いみたいだと思った」は、心から納得。

 

これから仕事は娯楽になるとか、過ごしたい人との時間がきっと人生の中の分量として増えていくことを考えると、きっと「話すこと」はいつまでも人間の特権であり、人生の楽しみなんだと思ってる。

 


武井壮さんの本気度にはきっと勝てないけれど、好きなトーク番組とか、尊敬する人の喋りとか、変なプライド持たずにまるっと真似たり次使ってみたり、そんなことを繰り返してたらきっと話すのが上手になりそう、と思ったのでした。

 

 

* * *


冒頭に話した先輩とは、仕事もかなりご一緒しているのだけど、気づけばその先輩の話し方とか、口癖とか、間の取り方とかを無意識にコピーしている自分がいたりする。


身近なひとや「話のプロ」芸能人に楽しませてもらった瞬間を、そっとこっそり振り返って、今度は誰かを楽しませてあげられる、そんな人になれたらいいな。

問い詰めるのは、野暮ってものよ。オトナの粋なノリと嘘

初めましての時、つい聞いてしまうことってある。

 

日本なら年齢、仕事、住まい、結婚の有無、あたりかな。 でもそれは、画一的な生き方をしている人の中でしか成り立たない会話で、ちっともセクシーじゃないって思った。

 


先日の出来事。

西麻布のフレンチにて行われた会食で、たまたま同じテーブルになった、なんだかスマートに遊ぶのがとても似合いそうな紳士がやってきた。その隣には美女を連れて。はて、でも似ていない。…?

 

「僕の娘です、血は繋がってないけど」おお…なるほど、そういうことか。きっと遊び人だから、そりゃ浮いた話も多かっただろうしなぁ(失礼)。

 

すると、もう一人、また一人、さらに一人と美女が3人。おやおや???「全員僕の娘です。全員血は繋がってないけど。」はて????

「あの、あなたたちは、どういうご関係で…?」と喉元まで出かかって、ようやく気付いた。これはいろいろ冗談が混ざっている。←だから、遅いって。

どうやったら娘になれますか?とか、早い段階でわざと大真面目に聞いたりすれば良かった。。

 


相手の言うことを杓子定規に切り返すと、正直全然面白くない。相手の言っていることか嘘か真か、真実を突き詰めようとしないこと。そりゃさ、仕事なら嘘はいけないよ。でもね。会話は仕事じゃないんだから。化かし化かされ、オトナの言葉遊びを楽しむ気概が必要だってもんだ!

 


その後に会った人も、やたら芸能人ふうだったので、「芸能関係ですか?それかスポーツ関係とか」と言ったら顔色一つ変えずに「スポーツ系芸能人です」って返された。て、テキトー!!しかしあまりに動じなさすぎて一緒信じかけてしまった…。

 


仕事は誠実で真面目。それでも遊びが入れば、どこかゆるく時にアダっぽく。さすれば相手に対してきっと「よくわからなさ」が醸す魅力も増すし、ぐっとセクシーになると思うのだ。

聞かれた質問に元気で明るく「はい!○○です!」と答えるのは、スクール水着並みに色気がない気がしています…。

 


さて、これからはセクシーな切り返しを見つけてみよ。

 

 

 

余談:

正直に聞きすぎるのは、あまりよくない。でも、仕事の共通点とか年齢が近いとかで、ぐっと距離を近づけるのも、これまたほんと。だから、その場その場で、バランス感を持って柔軟に臨めるオトナでありたいね。教科書には書いてない、そんな粋とノリと遊びが欲しい。

ほんとうに面白いことは、google先生は教えてくれない。

最近、しばしば肝に銘じなければ、ということがあって。

人を驚かせたり、なるほど!と膝を打ったり、楽しませたりする話のネタやヒントは、検索では探せなくて、生の会話の中にあるから、もっとアンテナを張らなければ!と感じている。


どうしてもわたしたちは何か困ったことがあると、検索エンジンにすぐ打って探したり、ハッシュタグをつけて検索する癖がどうにも、ここ数年加速しているように感じている(例に漏れずもちろん私も)。
それでも、なんだか心の底からつまらないなあ、と最近思ってきた。

 

人を感心させるのは、それはそういう角度で見るのか!と視点にはっとさせられることだったりするし、
人を楽しませるのは、それをそれになぞらえて表現しちゃうの!?という意外性やクリエイティビティある比喩や例えだったりするし、
人を驚かせるのは、ガイドブックや検索の1位〜10位には決して入ってこないような「裏ネタ」だったりする。

 

たとえば行ったことあることや出会った人、それらを観光ガイドやインタビュー記事で「知ったふう」に語ったって、ちっとも面白くない。もちろん、その大前提として基本知識は知っている、ということにはなってくるけども。
そのひとや物事のまさに「生」が感じられるシーンや言葉とか、キラキラなメディアには出てこないような泥臭い一面とか、きっと人間はそんな「凹凸」に惹かれるんだと思っている。

 


基本の教養は本や新聞やマスメディアでもちろん、抑える。そしてそこからは、自分の感性をフルにつかって、会話や時間を楽しむためのエッセンスを日々吸収していくこと。それはきっと、毎日を丁寧に味わうことにつながっている、のかもしれない。