TALK, TOKYO GIRL

【口下手だからこそ気づく、会話の小ワザ、話し方テク。】会話上手になりたい!教養と話術に長けた女子を目指して、この東京をしたたかに、セクシーに生きる。働くアラサー女子、日々奮闘!の実録。

「さん」付けで覚える

なかなか著名人の名前が覚えられない。

 
身近な友人、先輩は覚えられる。ユウコさん、マリアさん、鈴木さん、新井さん…
しかしながら企業の社長、芸能人、政治家、スポーツ選手…聞いては忘れを繰り返して、突然に出会ったり話に出て「あぁそうか」とあわてて知ってるフリ。これ、どうにかしたい。
 
言うなれば自分と関係ないから覚えないわけで、突然今日飲みに行ったら隣にいたとか、友達の友達だったとか、勝手に妄想して名前で呼んでみたらどうだろう。いまテレビを見ていたら綾野剛がでていたので、彼を呼ぶならどうするのか。「綾野さん」かなぁ。「剛さん」かなぁ。笑 でもきっとそんな日って、想像できるのならばいつか遠い未来でも来るのかも、。
 
芸能人と仲良くなりたいとか社長と気軽に飲めるようになりたいとかいつもミーハー心で思うけど、本質的にはそういうエンターテイメントとかビジネスとか一流の場で戦い続けられていることを尊敬するからお近づきになりたいと思う。そのために覚えてもらえるような、対等に話ができるようになれるような、人間力を高めながら過ごしつつ、こっそり「さん」づけで呼んで接してるフリをしてみよう。いつか具現化するかもしれないから。

知識が増えれば、人生の楽しみが増える。

自分があんまり興味がなくても、「知っている」ことが増えれば、盛り上がる瞬間が増える。

 

人生をつまらなくしているのは、自分かもしれない。。

 

知識を増やすことっていうのは、知らないことを理解することなので、なかなかにエネルギーがいることだけど、増やしたら増やしただけ、いいことがある。それは、世の中に散らばる「いとをかし」を見つける能力だと思っている。

 

最近それを意識した、とあるエピソード。

 

ある、海外の高級ホテルに訪れる機会があった時。
そのホテルは、国内のVIPや海外の要客をもてなすようなホテルで、内装もサービスも一流クラス。初めて泊まった私は、その絢爛豪華さや来ている人たちの「ただ者でない感」に圧倒されていた。気づけば多分「すごい…」やら「きれい…」と口走っていた気がする。(我ながら面白みがないな、、)

 

帰国後、教養深い友人にその話をしたところ、なんとその人も泊まったことかあるという。


さすが経験深い人は違うなあ、と感心していると、「あのホテルは、停まってる車を見るだけでも楽しいよね!高級車のコレクションって感じで!●●とか、××とか、あったでしょー!」と言われた。


思わず閉口してしまった。いや、そんな見方、自分はしたことなかった・・・し、もはやホテルに泊まっている車すら意識してみたことなかったかもしれない。そんなことなら、見ておけばよかった!と後悔したのを忘れません。


思い起こせば、そのホテルか建ち並ぶのもその街ではもちろん一等地。そこに道行く人、住む人、もちろん車でそこに訪れる人のレベルも、桁違いなのである。せっかくなら、あらゆることをみて楽しんでおけばよかったな、と。
…それから、日本でも道に停まっている車にも興味を持って見るようになった私。。

 

自分を認識する力があれば、もはや人混みでも、駐車場でも、なんでも楽しめるかもしれない。

 

そう、自分の教養のフックをつくることによって、きっと楽しめる幅が変わるのです。

出逢ったあらゆるものに、感動して生きれたら。きっとそれは、子供が「これ、なにー!?」って無邪気に言うのと一緒なのかもしれない。いつのまにか、私たちは溢れるものと情報にいちいち「なにこれっ!?(きらきら)」と思う気持ちをどこか忘れているのかも。今一度、そうやって日常を見返してみたら、きっと面白いものが発見できるかもしれないよ、と、自分にも言ってみる。

面白い人が面白いたる所以は、その表現力だと思う。

同じものを見ても、そこから想像するものが違う。この違いで、知性も教養もすべて筒抜けになるということが、最近つくづく身にしみるのである。

 

何かあった時に、ふとコメントが求められたりして、「自分、うっすいなー」とか、「何かいつも同じコメントを言っている気がする。」と思うことが増えていた。自分の発する言葉に飽きた、そんな気がしていた。

 

例えば、普段の生活で考えると。

可愛いチェックのスカートがあったとする。

そこで、普通は「チェックのスカート」。と表現する。これが普通。見りゃわかる。

ちょっと知っている人は、その種別まで判断し、「グレンチェック」や「マドラスチェック」という。

さらに深い人は「19××年のイギリス王室が好んで身にまとったタータンチェック」という。

 

見てわかるもの(街角で聞いたら99.9%が答えられるような回答)ではなく、そのさらに深化した一言や、歴史やその成り立ちから生まれたストーリーなど、あげれば枚挙にいとまがない。

 

よく興味深い「たとえ」を用いることができる人は面白い、と書くけど、それと同じくらい、豊富な表現できる言葉を持っている人は強いのだと思う。

 

そのためにできることは、普段からアンテナを働かせて、ワンクッション「考える」を置くこと。

(この観葉植物よく見るなあ)→あ、パキラだ。

(このピンク、素敵だな)→「シャネルが好んだno.●みたいな色」

(有名な女優さんだよなあ)→10年前の作品の●●の演技が素晴らしい女優さんだ。

とかね。

 

もちろん、表現を細分化すれば、その分リスクが上がる。

(例えば先のスカートの話でいえば、細かく言えば言うほど間違う可能性は増えるし、無難に「チェック」って言った方が間違えない)。それでも、その間違いを恐れている限り、表現力は上がらないものなのだ。

 

そして表現が面白い人は、やっぱり本を読んでいる。人と会わず、買い物をせず、黙々と自分の知を貯めている。やっぱり考え、知を楽しむのが、実は一番だったりするのかも。

 

こういうのを思い知るのは、やっぱり現代アートとか美術に触れた時だよなあ。やっぱり、同じ絵画や作品を見ても、「白いね」とか「不思議な形だね」とかしか言えないのって、ほんとうに稚拙だと思う。

ということへの、強い自戒の念を込めて。。

 

目の前の一つ一つのものが何に似ているのか、どんな成り立ちできているのか、触れたさまざまなものを手にとって味わうことが身につける近道なのです。

(そう考えると、昔の方が、ものが少ないから自然や人の機敏を詠むことに長けていたのかな)

 

そう、言葉は、無料で楽しめる知的遊びなのである。

ものとスマホに頼らず、自分の知性と言葉で日常を楽しめる人であれたらいいな。

突っ込み場所を提供するのは、もはやサービスである。

先日、ネットラジオを聞いていて、はっとすることがあった。

 

ネットラジオ。ニュースや時事のトピックを声で紹介したり、回のテーマについて深掘りする。自分の好きな時間に聞けて、 CMが限りなく少なく、とても気に入っている。

 

そんな中で、ある日、MCさんがひとつわからない単語があったそうで、google先生に聞いてみた、という。そしてまさかの、その結果が間違っていたのである。(その時はそのまま「たぶん○○ですかねー、」と、良い感じのゆるさで終わっていた)

 

すると、その回の終わった後。いつもよりもリスナーからのコメントが多いという。確かに、私も気になってコメントしてしまった!!笑 「いやいや、それ違うでしょ!これだよ!」と、なんか言いたくなってしまったのである。そして普段ならやったことがないコメント欄にまで書きこむというアクションすら起こった。

 

これはどういうことかなと考えてみると、やっぱり人は「突っ込みたがり」だし、「かまいたがり」なのかもしれない、ということ。「完璧に正しくて極めてロジカルなひと」よりも、「どこか抜けていてここは自分がフォローしなきゃ!」と思うほうがアクションするし、なんか何よりかまいたくなったり愛しちゃったりする。

 

困ったことは人に聞いたら、きっと誰かが助けてくれるかもしれないし、仕事でも自分ができないところを正直に言ったほうが、すぐフォローに入ってくれたりする。人は凹凸があればあるほど相手とつながることができるし、だからこそそんな凹凸を話題にしつつ、みんなに愛し愛されな仕組みをつくっていこうとするもんだよね。

 

ついつい自分の恥ずかしいところやダメなところは見せたくなくなってしまうけど、それはかえって人との接点を失っているということに、私は遅ればせながら、ようやく気づきました。
そう、突っ込みどころを見せるのは勇気、でも相手に対しては愛する余白をつくっていること。愛されるには、相手に対してどれだけ「心のパンツを脱げるか」(言い方古い?笑)がまさに鍵になるのだと思います。

自分の突っ込まれ場所は、自分で愛してあげましょ。

 


そんな自分は最近も基本日々ぬけぬけなので、「あ、忘れてた!(がーん)」なことはしょっちゅう起こるし、言い間違いは多いし、声は通らないから聞き返されるし、と、自分で見てよく落ち込みもするんですが、毎日そのおかげでよく笑ってもらいもしているので、むしろ役得だ!とポジティブへ変換しようとしています。

(でもやっぱりスマートな人には憧れる・・・)

「自分が話したいネタ」を話せばいい。

自分が話していて”最も生き生きしているもの”を見つけよう。

 


「話す」なんて楽しむもの。極論、話していて、嫌な気持ちになるものなんてちっとも話さなくていいものなである。

確かに話すことは「慣れ」だ。だから、ちょっと口下手な人は人より意識して心の中に浮かんだことを外に出す訓練が必要だし、周りの人との間の取り方やタイミング良く話をするのというは、場数を踏まないとわからないところもある。

それでも、話の仕方はトレーニングすれば、きっとよくなる。

 


重要なのは、中身。

人によって、出来事があったときのフォーカスするポイントも違う。

休日の過ごし方も、違う。違っていい。

自分はどんな話をしている時が、一番「楽しそう」か?

 

 

 

たとえば、

職場の人事や動向、同僚の気持ちにいち早く気づくタイプは、社内のコミュニケーションを盛り上げたり、対話を円滑にする人。

○○さんのおめでたいニュースがあった、○○は今こんな思いで働いている、来週ある違う部のイベントについて、とても楽しそうに語ってくれる。

 


自分の体験ベースで旬な物事にチャレンジする人は、コミュニティに新しい風を吹かせる人。

自分が先週末に訪れた場所や、知人友人の豊かなコネクションをフル活用して、ニッチで「生」の情報を伝えてくれる。

 


テレビや動画やゲームが好きな人は、プロの笑いやエンタメを楽しめる人。

今話題の芸人や鮮度あるギャグ、新しい言葉でどんどん会話を盛り上げ、毎日の会話の中でも面白く過ごそうというネタを一番持っていたりする。

 

 

 

別に最初は自分の得意な分野からでいい。

自分の得意なものや、イキイキできることから話してみる。楽しい気持ちを仕入れて、それを誰かに共有する。

 

そうすればその気持ちや前向きな情報がこの世界に広がって、どんどん楽しくなる。そんな世界のポジティブエネルギーの循環を自分が担っていると考えると、ちょっと楽しい。

 

 

自分の得意で会話を楽しみ、誰かを笑わせたり楽しい気持ちにできたなら、それだけで相手には素晴らしいギフトなのです。さ、なに話そう!

言葉でアウトプットする「くせ」をつける。

人を楽しませることができる人って、自分の楽しかったものやことを、どんどん身の回りの人にシェアできるひとなんだと思う。

 

これ、小さい頃から兄弟や親戚と仲よかったり、家族が聞き上手だったり、何かしらで根っからの話し上手な場合は、こんなことわざわざ言われなくてもわかるよ!ってことなんだけど(笑)、どうにもそうじゃない場合は、そう意識するようにすると人生変わるかも、って思ってる。

(少なくとも私は、社会人になってから、自分が周りと比べて相当口数が少ないことに気づいた、笑)

 

仲のよい後輩が、みんなでいるどんな時でも、
「こないだ○○に行ってきまして・・」とか、

「今週末は△△があるんですよー」とか、

「これがいま大好きで!!」と
自然にどんどんシェアする子がいる。

 

タイミングも話し方も絶妙で、みんなが思わず「ナニナニ??」と聞き続けてしまう楽しさがある。何よりその子自身が楽しんで話しているから、別に誰がどんな反応しようといい。気づけば話題はその子中心に回っていて、いつもその子の近況をみんなが気になって聞いたり、その子のスマホを見て話したりするんだよね。
芸能人→インフルエンサー→マイクロインフルエンサー、ならぬ、コミュニティ内のスーパーマイクロインフルエンサー、的な存在なのかも。

 

相手ありきで相手を楽しませられる時も必要だけど、時にはそんな空気を読まないくらい天真爛漫に、会話で人を楽しませられたら、ほんとにベスト。

 

別に、大したネタじゃなくてもいい。

□ この週末、何していた?
□ 最近、気になるニュースは何かあった?
□ 今世間で注目されているもので、どこか「むむっ!?」と気になるネタはあった?
□ 同じコミュニティで発生した小さなネタや事件、何か知ってる?

 

会社に入って報・連・相の意味がよくわかったけれど、楽しいことの報連相を意識して、ハッピーを増幅させられる人は、きっとどのコミュニティでも重宝されるはず。


口下手な人(自分も含め)は、自分が思っているより100倍くらい過剰に情報共有したほうが、実はこの世の中、うまくいったりするよ。自分が何を考えているか表現したほうが、愛されるし、安心され、共感される…と、いいことだらけ!

 

盛り上がるけど悪口だけはちゃんと避けて(これは違う意味で拡散して、回り回って自分を下げます)。「話し」は習慣、心がけ次第で変えられる。いつでも喋る癖をつけて、常にアウトプットしながら過ごして、人生スムーズに生きよう。

映画から、ビジネスシーンで心をつかむ一言を学ぶ。

映画は名言の宝庫だ!


amazon primeに入ってから、それにようやく気付き、時間があれば見るようにしている・・!

 

映画には、人生をドラマにするような名言が溢れている。私は海外映画が好きで、海外独特の粋な言い回し、ちょっとシニカルな切り返しとかを見つけるのがけっこう好きなのである。

 

働くシーンで、センスのある言葉選びができるか否か、というのは、日本よりも海外の方がシビアに見られていそうだな、と感じていて。日本はある程度ロジカルな返答と的を得ている回答ができていたら◎な感じがするが、海外はそこに+ユーモア、ウィットというか、「遊び」もちゃんと入っているか、を判断されているように思う。

 

このテーマで思い浮かぶ私が好きなシーンは、ウィル・スミス主演の「幸せのちから」の一幕。


(映画は、主人公のクリス・ガードナーが、事業を失敗しホームレスになりながらも、息子とともに成功を掴んでいくまでのの半生を描いたストーリー。がむしゃらになるエネルギーもらえます。)
※下記、ネタバレ注意※

 

その中のワンシーン。

主人公のクリスが、投資会社の雇用がかかっている大切な面接を、ペンキ塗りのボロボロの格好のまま駆け込み受けに行き、面接終盤の一言。

 

クリスを雇うことをほぼ心の中で決めた(と思われる)面接官が、
「面接にシャツも着てこないような男を雇ったとしたら、君はどう思うかね?」
と言います。

 

そこでクリスは、
「余程、よほど良いパンツを履いていたんだと思います」
と切り返す。

 

この状況でこれを言えるのか!!という素直な感嘆と、そこでの面接官の「そうくるか、」と言ったような少しの驚きと自分の期待を超えてきたことへの満足感(と私には見えた)の滲んだ表情に、このシーンが忘れられなくなりました。
(シャツだからパンツって・・・!ウィットというか、小粋なボケというか、よく言えるものよ。。)

 


ここでクリスが、
「まあ、たまにはそういうこともあるんじゃないかって思います」とか、
「そんなに気にしません」とか、
「(笑うだけ)」とか、
もしそんなことだったなら、なんてスクエアでつまらないやつなんだ!と、面接が取り消されていたのでは、ともすら思います。

 

仕事で窮地に立たされている時でも、ユーモアを忘れないでいられるか。
それは、自分の人間性を試されているようなもの。
まるまる使えなくても、アレンジして自分の糧にできたらきっと豊かな会話になる。

 


映画には、そんなヒントが溢れている。ぜひ、お気に入り言葉のコレクション、増やしていきましょ。