知識が増えれば、人生の楽しみが増える。
自分があんまり興味がなくても、「知っている」ことが増えれば、盛り上がる瞬間が増える。
人生をつまらなくしているのは、自分かもしれない。。
知識を増やすことっていうのは、知らないことを理解することなので、なかなかにエネルギーがいることだけど、増やしたら増やしただけ、いいことがある。それは、世の中に散らばる「いとをかし」を見つける能力だと思っている。
最近それを意識した、とあるエピソード。
ある、海外の高級ホテルに訪れる機会があった時。
そのホテルは、国内のVIPや海外の要客をもてなすようなホテルで、内装もサービスも一流クラス。初めて泊まった私は、その絢爛豪華さや来ている人たちの「ただ者でない感」に圧倒されていた。気づけば多分「すごい…」やら「きれい…」と口走っていた気がする。(我ながら面白みがないな、、)
帰国後、教養深い友人にその話をしたところ、なんとその人も泊まったことかあるという。
さすが経験深い人は違うなあ、と感心していると、「あのホテルは、停まってる車を見るだけでも楽しいよね!高級車のコレクションって感じで!●●とか、××とか、あったでしょー!」と言われた。
思わず閉口してしまった。いや、そんな見方、自分はしたことなかった・・・し、もはやホテルに泊まっている車すら意識してみたことなかったかもしれない。そんなことなら、見ておけばよかった!と後悔したのを忘れません。
思い起こせば、そのホテルか建ち並ぶのもその街ではもちろん一等地。そこに道行く人、住む人、もちろん車でそこに訪れる人のレベルも、桁違いなのである。せっかくなら、あらゆることをみて楽しんでおけばよかったな、と。
…それから、日本でも道に停まっている車にも興味を持って見るようになった私。。
自分を認識する力があれば、もはや人混みでも、駐車場でも、なんでも楽しめるかもしれない。
そう、自分の教養のフックをつくることによって、きっと楽しめる幅が変わるのです。
出逢ったあらゆるものに、感動して生きれたら。きっとそれは、子供が「これ、なにー!?」って無邪気に言うのと一緒なのかもしれない。いつのまにか、私たちは溢れるものと情報にいちいち「なにこれっ!?(きらきら)」と思う気持ちをどこか忘れているのかも。今一度、そうやって日常を見返してみたら、きっと面白いものが発見できるかもしれないよ、と、自分にも言ってみる。